被災者支援:石巻で、そしてここで(活動詳細)

 ブログ記事「被災者支援:石巻で、そしてここで①-活動報告速報・全体概要」及び「石巻で:外国人ボランティアとの泥出し活動8日間(活動概要・速報)」の続きを、このページで書いていきます。追加を書くたびに、メインページからお知らせする予定です。

 (それ以前のブログ記事 → 巨大地震・津波発生についてと被災者支援への出発のお知らせ

被災者支援:石巻で、そしてここで②

 まずは、出発から現地1日目まで。時間を追って、箇条書き的に。

<出発まで:「明日から行けますか」>

どうにか救援活動に加わりたいと思うようになっていた3/18(金)(地震・津波1週間後)ピースボートから連絡があり、「今、先遣隊が視察に行っている。後1週間くらいで活動が本格化する。その時に、外国人ボランティアのコーディネートなどで関わってもらえたらと考えているのだけれど、どうですか」と。「OKだよ」とそれを受け入れ「いつでもどこへでも行けるように準備はできている」と伝えておきました。

すると2日後の3/20()の夕方にピースボートから再び電話。「明日の夜から一緒に石巻へ行ってもらえないか」と。ちょっと(ピースボートらしく)急だなとは思ったものの、気持ちは当然OK。先遣隊に続く、準備隊というような位置付けのようです。

<人々の熱い支援の心>

最低限の荷物だけを担いで電車で向かおうと思ってはいましたが、「できたら車で来て欲しい。東京で使わせて欲しいので」と言われて車で行くことに。

となれば、救援物資などを積んで行ける。自分の所にある米や小麦粉、味噌など有るだけのものを持って行くことにし、さらにその日の夜に地元の知り合い何人かにメールで支援物資の提供を頼んでみました。すると・・何と・・メールをしてすぐの深夜11時過ぎから何人かが食材などを持って来てくれ、翌日の朝にも野菜やお米、キャンプ道具などたくさんの物資が寄せられました。この素早い反応と惜しみなく物を供出してくれる態度に心が熱くなりました。

<出発:東北道深夜行>

3/21(月休)出発当日は朝から雨。荷物を受け取るためには外でバタバタと動き回る必要があり、原発事故や放射線のことも気にしていられません。どうにか種まきをやってしまいたいとも思っていたものの、荷物の準備で時間切れ。ピースボートに指定された夕方6時という時刻にぎりぎり間に合うかどうか。しかも、不慣れな都内へのドライブ・・>< どうにか6時前に行き着けました。明るいうちに着けて良かった。

荷物の搬入や買出し、積み込み、そして一時帰京している先遣隊長とのミーティングを経て22時ごろ、前後2列シートのトラックで6人で出発。私以外は20代の若者男性ボランティア(ピースボートの参加経験者、過去スタッフ、これから乗船する人)たちです。しばらく一緒に活動して分かったことですが、皆すごい行動力と判断力を持つ人たちです。頼もしい。トラックは緊急車両の許可を取ってあり、一般車通行止めの東北自動車道をひた走ります。三陸道は通れず、下に降りてさらに北へ。

<到着:支援活動の基地へ>

3/22()の早朝に石巻市に到着し、先遣隊と電話で連絡を取って石巻専修大学のキャンパスへ向かいました。大きな駐車場をはさんで一方に社会福祉協議会が仮事務所を置いている校舎があり、もう一方は広い芝生の敷地になっています。そしてピースボートがテントを張っているのは、その芝生の敷地の端で、室内野球練習場の横。この建物が、支援物資の集積分配場所になるようです。

この芝生地にテントを張って暮らしながら、大学を基地に活動することになりました。現地に到着するまでは、津波被害のあった地域の避難所の一角で泥の上にでもテントを張って暮らすことになるのではないかと予想していたので、それに比べると少しだけ生きて行きやすいかもしれないと感じました。仮設トイレもあり、少なくとも今はタンクの水が流れます。これも、予想よりはずっと贅沢。

1日目:目を疑う街の様子>

到着して、テントを張り終わると早速活動開始です。東京から持って来た炊き出し用の機材やプロパンガスを別のトラックに積んで、3人で一つの小学校(湊小学校)へ。「ナビで行けるから」と言われて自分たちだけで走りました。

主な通りはどうにか車が通れるようになっているものの、その周りには目を疑いたくなるような風景が・・。ナビに従って渡ろうとした橋には船や車が積み重なっていて通れず、迂回して目的地に向かいます。小学校の周辺は、石巻でも一番被害の大きかった地域ということ。様子の一部は先回の記事の写真にあるとおりですが、私の写真では全く様子を写し切れていません。学校の校庭にも泥と車の残骸とどこかの家の屋根などが散乱し積み重なった状態です。

<炊き出し:体育館で、トラックで>

体育館に入って、前日に炊き出しを始めたという団体の方たちのお手伝いをします。ここも、数日前まで床は泥だらけだったそう。それをどうにか履き出して、炊き出し会場にしているのだそうです。壁や窓が壊れていて、冷たい風が入るため、そこにベニヤ板を打ち付けるお手伝いもしました。

お昼の炊き出し(具沢山の美味しいおうどん)には、この小学校で避難生活を送っていらっしゃる方々の他、近所の方たちも来られ、温かい食事に感謝されていました。

今日の私たちの作業のメインは、その炊き出しの残りをトラックの荷台に積んで、道を移動しながら移動炊き出しをしてみること。どうなるかと思いながらの作業でしたが、「炊き出ししています。温かいおうどんあります」と声をかけながら進むと、何とも大勢の方々がトラックに近寄って来られ、本当に喜んで下さいました。

小学校での炊き出しが始まって今日で2日目ということもあり、そのことが知られていないようですし、少し離れると小学校まで歩くのも大変。道で炊き出しを受け取られた男性から「この角を曲がって少し行った先の地区公民館で避難している人たちが40人くらいいる。まだ温かい食べ物は届いていないから是非行ってあげて欲しい」と言われました。どこまで自分たちで決めて行動して良いのか少し迷いながらも、途中で1度器を取りに小学校へ帰り、先ほど教えてもらった公民館にも届け(こんな道を走れるのかと思うような残骸の間を通りました)、2時間ほどで数百食を配りました。

1日目を終えて:充実感、無力感、寒さ>

夕方になり、小学校で炊き出し道具の片付けを手伝い。今日はこれで基地へと戻ります。帰り際に先着の炊き出し隊から「私たちは次の場所へ移動するので明日は、炊き出しをお願いしたい」とも言われ、これまた私たちだけでは決められず、基地へ持ち帰ることに。

充実感とやりがいを感じる1日でした。夜行で走ってきた疲れも感じません。でも、とにかく町の惨状と人々の苦労を目の当たりにして、言葉がありません。そして、夜のテントは寒かった!

(続く)

被災者支援:石巻で、そしてここで③ (執筆中)

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石巻で:外国人ボランティアとの泥出し活動8日間(活動詳細)

321日から30日にかけての第1回目の活動に引き続き、415日から23日まで再び宮城県石巻市での災害救援ボランティアの活動に参加してきました。

<外国人チーム>

2web  今回は、ピースボートによる大規模ボランティア派遣に参加した外国人チームを取りまとめる役。私の担当したチームは、オーストラリア人4人、イギリス人2人、カナダ人1人、そして石巻で加わったフランス人の合計8人。女性4人男性4人。皆それぞれ日本で仕事をしている人たちです(一人は、2月から半年の予定で親戚を訪ねて来たイギリス(スコットランド)の19歳の女性)。もう一つのチームには、今回の救援活動のためにカナダやベルギー、ノルウェーから駆けつけた人も加わっていました。

私たちのチームの(他の外国人チームも)現地での活動は基本的にひたすら泥出し&がれきの撤去!

<泥出し&がれきの撤去>

石巻市の中心にある商店街は、今回の津波で高さ2メートル近くまで浸水。家財や店の棚、商品などが泥まみれで床や通路に散乱し、その床には真っ黒なヘドロがたまっています。ピースボートと地元の方々との話し合いで、この商店街を少しでも早くその一部でも復興させることで、地元の人たちが生活と希望を取り戻すきっかけになって欲しい、ということになり、この地域に集中的に清掃ボランティアのチームが入っているのです。私たち外国人部隊も、そのお手伝いをさせていただきました。

<成果が目に見える!>

Beforeweb  体力的にはかなりきつく、しかも危険を伴う気の抜けない作業でしたが、お店や家から泥とがれきを運び出し、川からポリタンクに汲んで来た水で床の汚れを流していくと、作業前と後とで様子が見違えるようになるのが分かります。そして、家主さんが心から喜んでお礼を言って下さるのです。働いているのが外国人ということも、家主さんや地域の方に特別な印象を残したようです。日本人ボランティアでも、現地には縁もゆかりも無い人が多いのですが、外国人となればなおさらです。彼らの献身的な働きには私自身本当に心を動かされました。

Afterweb  一軒のお宅では「作業の後に寄って下さい」と言われて行ってみると、きれいになったお部屋でお茶とお菓子を振舞って下さいました。

<働き者のチームメンバー達>

Web_5Web_6  印象に残ったことがいくつかありました。まず第一は、とにかくチームメンバーが働く働く。皆、シャベルの手を止めずにどんどんとヘドロをドノウ袋に詰め、その重たいドノウ袋をどんどん運び出してくれるし、がれきやゴミもどんどん撤去。リーダーとして皆の健康や安全にも気を付けなくてはならないので、休みをしっかり取ろうとしたのですが、その時間も惜しいという感じで動くのです。20代から30代の彼らに混ざって一人だけ40後半の私には、ちょっときつかったです><

<雪のベースキャンプ>

Web_4  活動地である石巻。3月の活動時よりは、少し温かくなっていたとは言え、まだまだ夜は寒かった>< そして3日目の夜は湿ったドカ雪。ボランティア達が寝泊りのために自分で張ったたくさんのテントが押しつぶされてしまいました。(その夜だけは大学の教室が開放され、一部のボランティアはそちらで寝ました。)

<町に命の灯がともる>

Web_3  もう一つ印象に残ったことは、商店街の一部でお店が営業を再開し出したこと。その一つは、ピースボートが清掃を担当した果物屋さんでした。まだ店の奥にはがれきも残っており、完全な復活ではないものの、こうやって町に命の明かりがともり出すことで、地元の人にも勇気を与えることになり、そして私たちボランティアもますますやる気を強められます。

Web_2 作業最終日の午後には、地元の方々がボランティアへの感謝の会を開いて下さいました。

 石巻市の皆さん、そして他の地域で被災された多くの皆さん、皆さまの強さと優しさから、多くを学んでいます。これからも一緒に歩んで行きましょう。

 

 チームメイトのみんな、ありがとう! これからも是非つながっていきたいです。