内戦下グアテマラで「人間の盾」

94年5月から95年5月までの1年間、中米のマヤの国グアテマラで、人権監視団の仕事を経験しました。団体は、ロンドンに国際本部を置くピースブリゲード・インターナショナル(略称PBI →英語サイト) 。マハトマ・ガンジーの非暴力直接行動思想などを元に設立された、平和・人権団体です。紛争地で、武力を使わない市民に外国人が同伴することによって、暗殺や誘拐などを防ぐ、いわゆる「人間の盾」の仕事。
その当時のグアテマラは、内戦状態でした。96年の末に武装紛争は終わり、PBIもいったん活動を終えたものの、その後ふたたび人権侵害がひどくなり、現在はまたチームが入っています。 (以下、報告・解説全6コマ)

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この美しく、深い文化

01310月12日は何の日か覚えていますか? そうですね、コロンブスによる「アメリカ大陸発見の日」。その日グアテマラでは、マヤ文化の儀式が行われます。

あの「発見」の日以来続く、マヤ民族への差別と抑圧の歴史。ごく一部の白人支配者層が、富と耕作地の大部分を握る国。その国に、一筋の光が見えたのは1944年から54年のことでした。農地改革や福祉・教育の普及など革新的な政策を打ち出した2人の大統領が続いたのです。しかしその政策が、グアテマラに土地を所有し富を得ていたアメリカ企業にまで影響を及ぼすようになり、CIA(アメリカ中央情報局)が動きます。大統領はクーデターで職を追われ、その後には長く続く軍事政権の時代が。

抑圧的な軍事政権に対して立ち上がったのは、一部の軍将校と左翼活動家たちでした。手を組んで武装闘争を始めた彼らと、政府の間で内戦状態になってしまいます。

この内戦は、東西冷戦の産物でもありますが、大きくは一部の富める者たちと大部分の貧しい者たちとの戦いでした。そしてまた、人種差別的歴史の続きでもあります。マヤ民族抹殺的な虐殺が、政府軍によってたくさん行われたのです。中米のアパルトヘイトと呼ばれるのはそのためです。政府を支援し続けたアメリカ合州国の罪は非常に大きいと言えます。

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軍による暴力に抗議

005軍政は表向きには終わっていたとは言え、内戦の続くこの国ではその暴力的な体制は続いていました。人々は、その暴力に抗議してデモ行進。PBIの同伴ボランティアが列の前に付き、監視団としての立場をアピールします。
この他に、地方での会議に向かう人権活動家に同行したり、農民団体の事務所に詰めたり、ある時は人質事件から開放された女性を保護したり、いろいろな活動をしました。
一方で、日本の大使にあいさつに行ったり、グアテマラの国防大臣を訪ねて自分たちの活動について説明したり、アメリカ大使を自分たちの家に招いて食事会をしたりと、「外交」も大切な活動です。

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過去の真実を知ること

006内戦中には、マヤ系の先住民族農民達を中心に20万人が殺されたり、行方不明になりました。多くの村では、政府軍による無差別虐殺が。虐殺を生き残った人達は、次は自分が殺されるという恐れの中で口を閉ざして生きて来ました。その恐れを振り払い、命がけで目撃証言をする人達が出て来たのです。土で埋まっていた古井戸を掘ると・・。

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癒しと平和のために

009次々と発見される遺体や遺品。家族の遺体をきちんと葬れないでいた遺族にとっては、その傷口をいやす大切な段階です。しかし、殺人者達にとっては自らの犯罪があばかれるとんでもないこと。このような発掘調査にも妨害が加えられます。

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故郷は平和か?

01930年以上続く内戦は、たくさんの難民を生みました。戦火を逃れた村人達、「反政府だろうと」言われて政府軍からの抑圧を受けた村人達、たくさんの人達がこの静かなウシュマシンタ川を渡ってメキシコへ逃れたのです。内戦終結の光を見る人達が少しずつグアテマラへの帰還を始めましたが、もともと軍事政権に反対していた彼らへの嫌がらせや脅迫は帰国後も続きます。新しい村を開拓する帰還難民の人達に付き添って1ヶ月間、ペテン・ジャングルでのキャンプ生活をしました。川で水浴びし、貝を拾い、タランチュラと遭遇し、、。村が少しずつ作られていくのをまぢかで見ていくことができたのは、光栄でした。

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盾も、よろいもはずしたら。

001グアテマラでの1年間は、本当に貴重な経験でした。 この写真のように、人々はまるで私の親族のよう。見かけも、気持ち的にも。その人達に静かで幸せな生活が早く訪れることを願わずにはいられません。

そんな貴重な体験でしたが、チームメートの中には自己満足のためにこの仕事をしていると見える人も多く、チーム活動の中では平和とは言えない場面も。振り返って「自分はなぜこの危険な仕事をすることを選んだのだろうか」と考えるようになりました。

自分は、自分自身のことをよく理解しているだろうか。いや。人生楽しんでる?いや。癒えていない傷や、小さい時からの劣等感があること、それを隠すためもあってこんな活動をしていること、、、そんなことに気付きました。南米の大旅行もそれに通じるものがあったのです。

日本に帰って来て、ちょっと生き方のパターンを変えてみることに。表面的な「人のため」の活動はやめ、「盾もヨロイもはずして」自分自身のことをもう少し見つめること、自分自身の本当の喜びはどこにあるのかを探してみることにしました。 続きはまた・・。

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