今回のバヌアツ訪問で一番やりたかったことは、田舎訪問と生活体験。
人口の約80%が地方の島々で田舎に住み、そこではほとんど完全に近い昔ながらの自給生活が営まれていて、お金を使う経済の割合がとても小さい。この国の、そんな伝統的な暮らしや伝統的経済システムに大きな興味を持ったことが、今回の訪問の理由です。
ですから、そんな生活のほんの一端にでも触れてみたい、というのが願いでした。それが、首都ポートビラで知り合った青年海外協力隊の隊員の方々や、離島の任地で世話をしてくださった隊員の方のおかげで実現しました。隊員の皆さん、そしてJICAバヌアツ支所の皆さま、本当にありがとうございました。
<タンナ島へ>
訪問したのは、一人の協力隊隊員(教育省、算数教員)の方の任地であるタンナ島。ここは、バヌアツの中でも特に伝統を大切にしている島だそうです。実際に行くことができたのは、島の行政や経済の中心であるレナケルという町と、そのすぐ郊外のレンマウ村。ですから、本当の奥地の村の生活とは違って、かなり貨幣経済や外来文化の影響も強いのであろうと想像できます。それでも、首都ポートビラとは全く違う暮らしを見、ほんの少し体験することができました。
<市場に客が少ないのはなぜ>
まずは、ここでも市場です。レナケルの町の中心にある広場で、月曜日と金曜日に市が開かれます。訪れたのは水曜日でしたが、この日も少し小さい規模ながら市が開かれていました。大きな木の下で、野菜や果物、やしの実、薪、カバ(後述)の根などを売る女性たち。なんともゆったりとした風景です。
ポートビラの市場でも、それほど盛んに売り買いが行われているわけでも無くなんとなくゆったりとした雰囲気を感じましたが、まず規模が大違い。その上、外国人やレストランの人などを含めてまあまあ買い物客のいる首都の市場と違い、こちらは(メインの市の日でないから、ということもあるでしょうが)お客と思われる人は朝から昼頃までいても、ほとんど見かけませんでした。
それもそのはず、考えてみれば地元の人はほとんど自給自足の生活をしているのです。市場で売っているものは、ほとんどが自分たちで作れるか、自然に成っているものばかり。聞いてみると、ここに買い物にくるのは、他の島から働きに来ている公務員や、観光客用のロッジを経営している人たちだとのことでした。納得。 (2枚目の写真は、町の中心からそれほど離れていない所の家と、その前にある畑)
<伝統経済と貨幣経済>
これは、まだ報告していない核心部分の話なので、ちょっと飛躍し過ぎかもしれませんが、今のバヌアツの状況を端的に言うと(私の予想・期待していた伝統経済を守る方向とはかなり違って)、どうにかその自給自足生活を抜け出して産業を作り出し、お金を使う経済に移行して経済成長を進め、それで国を「発展」させて行こうというところです。ですから、これからは、こんな市場がもっと栄える状況になっていくのでしょう。そして外国からの品物もどんどん入ってきて、国際的な経済の中に組み込まれていくのでしょう。
ただ、私の元々の関心である伝統経済に関して、それを維持するべく熱心に活動している人たちもおり、しかも一般の人々の中にも、どこかでその伝統(例えば、土地を大切にすることや家族・コミュニティを大切にすることなど)を守りたいという気持ちがあるようなので、まだまだバヌアツから目が離せません。
ちなみに、この島には大きな産業はありません。観光が数少ない大き目の産業。ですから、働くと言っても、働き口も充分には無いのでしょう。たくさんの男たちが、昼間から市場の近くの広場でのんびりとしているように見受けられました。広場と思った所は、実はナカマルでした。村の伝統的なナカマルとは違って、こちらはカバを飲むためのバーとった感じの場所。夕方からオープンします。
<お店>
これは、市場からは少し離れて行政機関のある地域のお店。隊員の方と一緒に朝食のパンを買いに行きました。商品は、缶詰などが、少し棚にある程度でした。パンは、ここで焼いているようです。美味しかったです。
<家の様子>
これは以前にも現地からの報告で掲載した写真。お世話になったお宅での朝食風景です。家族(祖父母、父母、子どもたち・・)は、同じ敷地に建っているいくつかの家に分かれて暮らしていて、食事は皆この場所でします。電気、ガスはありませんでした。水道は、山から湧き水を引いているとのこと。風呂は無く、外に置いたドラム缶に水がためてあって、それを洗面器ですくって水浴びしました。トイレは、穴を掘った所に便器を置き、小さな小屋をかけてありました。
道を挟んだ反対側の集落を含めて、村にはおじいさんにあたる人が3人、その子どもや孫たちで、総勢100人ほどが住んでいるとのこと。最近では、子どもは数人という家族もあるようですが、伝統的には10人くらいいる家族もあるそうです。
調理には薪が使われています。隊員の方々の住居にはプロパンガスがあるそうですが、村々ではまだ薪を利用するお宅が多いらしい。明かりは、ケロシン(灯油)ランプでした。
<道路、商品、国の行き先>
道の様子。空港から町までを含めて、舗装路はありませんでした。この写真は、道を撮ったというよりは、実は道の脇に落ちているものを撮ったのですが・・。分かりますか。マンゴーです。今年は特にたくさん成っているそうで、そこらじゅうにマンゴーが落ちています。「豊作」と書きかけたのですが、よく考えるとこれは栽培している場合の言い方ですよね。自然にたくさん成っているのは何と言うのでしょうか。
泊めていただいた村の一人の長老は、この無駄になっているマンゴーを加工してジュースなどにすれば商品として売れるのではないか、そのための機材が欲しい、と言っていました。確かに・・・。やはり、村でも現金の必要や期待が大きくなっているのでしょう。
長い目で見てそれがどこへ続く道なのか。何を判定基準にして、どこまで貨幣経済を進めるのか。そこのところをバヌアツの政治家たちがよく考えてくれるといいなと思います。まあ、私にもまだしっかりとした提案ができるわけではないので、偉そうなことは言えません。どうにか、そんな提案ができるようになりたいものです。バヌアツの人たちのために、そして何よりも自分と日本のために。
<海、海産物、協力隊、開発援助>
実は、この町に行くまでは、どちらかと言うと山の中の町をイメージしていたので、レナケルの町に着いて目の前が海だったのは、ちょっと予想外でした。海岸は、火山性の溶岩が張り出していて、砂は黒砂です。日本の援助で作られたという小さな港がありました。
ここは、島の西側なのですが、東側の海には良い漁場があって、魚がけっこう取れるそうです。島でお世話になった隊員の一人は、そんな水産業を発展させるお仕事をされています。村のご自宅に泊めてくださったのは、そんな隊員と一緒に働く現地スタッフの方でした。
漁場の近くの海岸に冷蔵設備が無いうえに、市場(しじょう)へのアクセス(空港や港)があるレナケルとの連絡もこれまではすぐにできず、取った魚を手際よく首都などへ運べなかったそうです。つまり市場(しじょう)に流してお金にすることができなかったのです。最近では、携帯電話が普及した(これまたとても面白い話題です。別記事で)ために市場への移送がしやすくなったとのこと。日本の援助でレナケルには冷蔵設備や冷房のある魚売り場ができ、これからは市場化が進んでいくようです。
水産事務所に勤める協力隊員の方は、村々をオフロードバイクで回って地元の人々と現地の言葉(ビシュラマ語という英語からの派生語)でやり取りし、熱心に活動しています。事務所の現地の方々は、そんな隊員に本当に感謝していました。事務所の横の森林局の方も、「森林分野でも彼のような熱心な隊員と、それをサポートするJICAの援助がもらえたらとても助かるのだけれど」、と言っていました。
日本からの開発援助の最先端で、不便な生活を送りながら人々と共に暮らし、活動する協力隊員たちはとても立派でかっこいいです。この国の人々の本当の益になる開発援助とは何なのか、などと机上の論を振り回すだけでは、現実や人々の気持ちには対応できないのかもしれません。
<男たちの楽しみ>
最後は、村の夕方。なにやら男たちが集まっています。これは、ナカマルと呼ばれる村の集会所。村の運営上の話し合いや、伝統儀式などが行われるとても大切な場所です。そして、村の男たちの社交場的な場にもなっています。
ここで、カバと呼ばれる飲み物を一緒に飲むのです。カバは、バヌアツを初めとしたメラネシア地域の大切な伝統の一部。本来は、重要な儀式の時に使われる神聖な飲み物だったようですが、最近はそれが一般的に飲まれるようになっているようです。とにかく、バヌアツで人(特に男性)と親しくなるための入り口は一緒にカバを飲むことらしい。協力隊の隊員の方々が教えてくれました。
カバは、飲むと気持ちが落ち着き、ゆったりした気分になります。飲みすぎると(私のような初心者は特に)気持ち悪くもなります。ちょっとアルコールにも匹敵するような効果があるので、これが夕方の一杯的な習慣になりつつあり、カバへの依存や、その影響による行動(又は行動しなくなること)を問題視する声もあります。カバについては、また書きます。
ということで、またまた長い記事になってしまいました。田舎の様子を、少しだけ想像していただけたでしょうか。少しずつ本命の話にも触れ始めていますね。よろしければ、これからの記事でもう少しお付き合いください。