自分のためのメモ 「3・11」 A memo for myself

Web_4 (English below)
あの時も梅の花がきれいに咲いていた
田んぼのあぜで足元が大きく揺れて
農体験の若者たちには帰りの電車が無かった

橋の上には船が乗っていて
お墓の上に乗りあげた車たちが悲しかった。
トラックの荷台から配る暖かいおうどんに人々が群がる

地元の人たちは、悲しみと混乱を底力と包容力で乗り越えようとしていた
笑顔できつい仕事をこなすボランティア女性が言う「お風呂に1週間以上入れていないのがちょっときつい」と
自衛隊員たちは、捜索と救助の大変な仕事を続けていた
テントでのすごく寒い夜も、なぜか平気だった
被災した人たちが暖かい場所で過ごせるようにと願う

復興と地域活性のために活動を続ける全ての人々に心から感謝しつつ
自分にできる支援を続けよう

The plum trees had beautiful flowers that day.
The Earth shook at the rice field.
The youths who helped did not have trains to go home.

There were ships on bridges. The cars on top of tombstones made me cry.
People crowded around the truck for hot noodle.
A hard working and very cheerful volunteer woman told me “It’s been 8 days without shower, that is a bit hard.”
Members of the Self Defense Force were on difficult search and rescue missions.
The very cold nights in the base camp tents felt something minute.
I just wanted victims of the disaster to keep themselves warm.

Thanks to all who are working for recovery and revitalization of towns and communities.
It’s time to remember the feeling of friendship and compassion and renew my commitment to support their efforts.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

冬の「自給体験」づくし! 救援リーダーチーム来訪2回目

Web_2 11月に来てくれた震災救援ボランティアリーダーチームの何人かが、新しい仲間たちを連れて7人で訪れてくれました。今回も3泊4日の合宿で。

 3泊できるなら米糀仕込と味噌仕込みができる! 11月初めの「なりわい創造塾」企画に引き続き、この冬のシーズンで2回目の米糀&味噌仕込みをしました。1年に3回仕込めたらいいなと考えているのですが、これで2011年の1月1日に仕込んで以来1年と1か月で3回仕込んだことになります。目標にかなり接近。

 さて、来てくれた面々は体を動かすのが大好きなので、仕込みはちょっと地味すぎるかなとも思ったのですが、みんなとても熱心。田畑での農作業だけでなく、「自給」に興味を持っているようです。米糀と味噌仕込みの詳細は、11月の会を参照いてください(開いたページのやや下の方にあります)。

 11月の回に勝るとも劣らず、今回も米糀の発酵がとても順調で、温度がどんどん上がります。40時間目前後からは、1時間か2時間に1回は手入れをしました。(女性たちの布団と並べて米糀桶を置き、夜中にも手入れをしてもらいました。ありがとう!)

Web1_4 大豆を煮る日は、あいにくの雪・・>< でも、これも風情があっていい・・。 ということで、家の横の畑にブルーシートの屋根を張り、その下にドラム缶かまどと鉄釜を置いて薪の火で大豆を煮ました。

Web2_2 正確には、屋根は天気予報を見て前日に準備し、大豆は念のため台所で少し煮始めておいて、仕上げに1時間ほど外で煮ました。かまどに鉄釜と薪という組み合わせにすると、台所のガスレンジの火を一番強くした状態と比べても、比較にならない強い火を使うことができます。味噌作りの本に「鍋で5~6時間煮込む」と書いてある大豆煮も、水の状態から煮始めても3時間もかからずに煮上がります。

 煮終わった大豆を家に持ち帰ってつぶし、ちょうどその頃にできあがる米糀と混ぜ、塩も混ぜてカメに入れれば味噌仕込み完了!これで、秋にはまたまた美味しいお味噌がたっぷりできあがります。一緒に米糀仕込みからやってくれたみんな、できあがりのお味噌を食べに来てねー^^

 合宿でのもう一つの面白い学びについて、次の記事に書きました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年を振り返り2012年に想う

 今年は、自分にとって大きな意味のある年でした。特に世界青年の船の乗船中(1月後半から3月初め)から下船の頃にかけて、新しいアイデアや意識が芽生えました。大切な出会いとそれに伴う深い学びもありました。そして、そんな想いを胸にして3月の田んぼ作業を(青年の船の仲間たちと)している最中に・・・あの震災が・・。それは、自分の新しいアイデアや意識を(少なくともしばらくの間)吹き飛ばしてしまう大変な出来事でした。

 3月4月は石巻での緊急救援に携わり、今回の震災の被害の大きさに圧倒されながら、一方で被災地の人々の強さや人間的な暖かさを体験しました。そしてそれと同じくらい強く印象に残ったのは、たくさんの、特に全国から集まった若い人ボランティアたち、自衛隊や警察、消防の隊員のみなさん、地元自治体職員のみなさんの、献身的で力強く高い能力に裏付けされた活躍です。経済的にも気分の上でもあまりぱっとしないこの日本ですが、もう一度これからの方向をしっかりと見直してスイッチを合わせ直せば、人間としての底力はあるはずだと励まされました。

 一番の問題は、その「方向性をしっかりと見直す」役割を担っている政治家や経済界のトップたちが、いまだにせいぜい10年、もしかすると5年とか数年くらいの目の前の短い単位でしか物事を見ることができないことだと思います。次の選挙で勝てなければ政治を続けられないとか、今年の会社の業績が悪ければ立場を奪われるという条件の中では、彼らがそれを超えることは難しいのかもしれませんが、それでは日本の将来に希望は無いし、わざわざ彼らがその立場に居て他の多くの人たちよりも恵まれた生活をしている意味も無い。与えられた優秀な頭脳を活かして、難しさを乗り越えて欲しいものです。

 そして、もっと先のことをしっかりと考えられる政治家を選び、そうしようとしている会社を応援し、同時にそういう人たちが活躍しやすい政治や経済の形を作るために、私たちも協力することが大切ですね。私も自分の置かれた立場や与えられた機会を利用して、この目標に向かって2012年もがんばろうと思います。

 まず一つ優先的に取り組む必要のある課題は、除染作業を含む原発の事故処理とこれからのエネルギーの問題でしょう。私たちが個人個人で事故処理に直接関わることはできませんが、国や自治体、電力会社がどのように動くかに影響を与えることはできます。これからのエネルギー政策についても同じ。そのためには、まず現状や将来の可能性を知る必要があります。勉強しましょう!周りで活動している人たちとつながりましょう。
お勧めのイベントがあります。→ 「1月14日15日 脱原発世界会議in横浜

 もう一つ個人的に取り組もうと考えているのは、世界を不安定にしている(原発やその基礎にある経済優先思想に加えて)もう一つの大きな要因である「お金の仕組み」と「金融優先主義」の問題です。こちらもなかなか手ごわいですが、何らかの形でアウトプットできるように準備中です。これに関しては、先日ご紹介した映画「インサイド・ジョブ」を是非ご覧ください。

 2012年が、わくわくできる年でありますように!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

年内にもう一度被災地へ!(炊き出しin陸前高田市)

Web_2 友人に誘ってもらい、4月以来となる被災者支援に出かけてきました。その友人自身は、震災から何度も東北の被災地におもむいて炊き出しや物資配布をし、自分のやっているレストランでは東北の物産を販売しています。今回は、彼女が継続的に支援している人たちのいる岩手県陸前高田市が活動地となりました。3月4月の緊急救援活動の時はとても寒かったので、いつか少し過ごしやすい気候の時にも行けたら、などと考えていましたが、すでに12月後半。現地でも「この冬で一番寒い」と言われる寒さでした><

 陸前高田市は、津波で市の中心部が壊滅し住民の3分の1にあたる1万人近くが家を失った所。岩手県内では最大の1700人近くが亡くなられました。

Web_3 東京を19(月)の夜中に出発し、雪の舞う東北自動車道を北へ。20(火)の早朝に到着。市役所や市の体育館などを含め、元々街があったあたりは津波に流され、ほとんど何もありません。

Web_4 がれきはほぼ取り除かれていますが、今でも体育館や図書館、消防署などいくつかの建物の残骸が残っていて、冷たい風の中でその前に立つと3月に石巻に入った時のあのショックと悲しみと「何かしたい」という想いが胸に迫ってくる感じでした。

Pc200011 市内を車で走ると、がれきがいくつかの集積地に山のように積み上げられています。

 今回は、2つの仮設住宅で炊き出しをしました。震災から9か月が経ち、支援に求められるものや意義は変化しています。今一番求められているのは、地域に雇用を生み出すことのようでした。これに対応する小さな一助として、炊き出し用食材の買い物をできだけ現地の店でするようにし、さらにお土産や東京で販売するために産物を購入しました。一方で、私の田畑からもお米とサトイモを供出して使ってもらいました。

2web そしてもう一つ必要とされているのは、仮設住宅などに暮らす方々が、その仮設の方たちの中でつながりを持ち、さらに仮設の近隣の住民の方たちともつながることのようです。炊き出しも、どうにか生き延びるための救援という意味合いから、この「コミュニティを作る」お手伝いというような意味合いになっているようでした。

 一つ目の場所では、仮設住宅に入っておられる方々が、料理の準備を一緒にして下さり、いろいろと話を聞かせてくれました。2ヶ所目では、「ここでイベントや炊き出しが行われる時には、周りの地域の住民たちや他の仮設住宅の人たちにも声をかけて、みんなでやるようにしてるんだ」と一人の方がおっしゃっていました。今回は平日の昼間ということもあって近隣の方々が大勢集まるという風にはなりませんでしたが、それでも仮設の内外の方たちが集い、天気にも恵まれて皆さんの交流の場作りとしても機能したようでした。

 この他、友人が以前に知り合って連絡を取り合っているご家族や、同じく連絡を取り合っていて何度も訪れているお寺の住職さんを訪ね、お話を聞くことができました。また、宿にさせていただいた民宿のご主人や奥さんからも、当時のことや今のことなどいろいろなお話を聞かせていただきました。今回の岩手県行きの一つの大きな成果は、私自身が被災地の現状を自分で見、現地の人たちと直接話をすることで、復興支援への気持ちを再び高めることができたことだと思います。Mkちゃん、ありがとう! Diさん、Miちゃん、お疲れさまでした!

 友人の自然食レストラン「Your Big Family」は、東京の東久留米市にあり、とんこつ風ベジタリアンラーメンなど、ユニークで美味しいお料理と、各地の美味しいお酒が楽しめます。お勧めです^^)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

震災救援から農的暮らしへ!?

Web_6 すごい若者たちが3泊4日で農作業体験に来てくれました。東日本大震災の救援活動でボランティアとして被災地にずっと滞在し、他のボランティアたちのまとめ役として働いていた人たち。4月くらいから3か月、4か月と働いてきたのです。そしてさらに9月からは、台風12号による水害の出た和歌山県に出向き、東北での経験を活かして被災者支援をしてきたそう。みんな行動力と判断力があり、しかも何をするにしろそれを楽しむことができる。

Web_7 そんなバイタリティーと能力を持った彼らが、これからの人生について考える中で、農的暮らしや自給にも興味を持ったそう。リーダー格の男性とは10年くらい前にピースボートで出会い、4月には石巻で再会。そして今回、仲間を連れて来てくれました。Mっちゃん、ありがとうねー。

Web_8 Web_9 かんぺー農園では、山から間伐材を下すような力仕事から農作業小屋の棚作り(すごく立派なのができた!)、そして小麦の種まきまで、なんでもこなしてくれました。本当にありがとう。

 一緒にした食事も楽しかったし美味しかった!(来てくれた中の一人の女性は、石巻で炊き出しの責任者としてずっと活躍してきたYちゃん。おいしい料理をありがとう)

 細かいことに気が付く女性もいて、台所やふろ場もきれいにしていてくれました。Skありがとう!みんな、是非また来てください。面白いことができるといいね。

 この写真を撮ったのは最終日。この日には、なんとMっちゃんとの出会いと同じ10年前のピースボート船上で出会った女性も友人たちを連れて来てくれました。Cそんありがとう!3人がそろうなんて、10年ぶりだね!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

石巻で:外国人ボランティアとの泥出し活動8日間(活動概要・速報)

 3月21日から30日にかけての第1回目の活動に引き続き、4月15日から23日まで再び宮城県石巻市での災害救援ボランティアの活動に参加してきました。

2web_2 今回は、ピースボートによる大規模ボランティア派遣に参加した外国人チームを取りまとめる役。私の担当したチームは、オーストラリア人4人、イギリス人2人、カナダ人1人、そして石巻で加わったフランス人の合計8人。女性4人男性4人。皆それぞれ日本で仕事をしている人たちです(一人は、2月から半年の予定で親戚を訪ねて来たイギリス(スコットランド)の19歳の女性)。もう一つのチームには、今回の救援作業のためにカナダやベルギー、ノルウェーから駆けつけた人も加わっていました。

 主な活動は、町の商店や家屋からの泥出しとがれきの撤去。チーム33のみんな、ありがとう!救援活動中の素晴らしいチームプレーと、移動中や食事などでの楽しいやり取りのおかげで、やる気を保つことができたし、しっかりと成果を残せました。これからも是非つながっていきたいです。

 活動の様子や、今回印象に残ったことなどは、先回の活動詳細に続けて別ページに書いています(第1回目の活動記事の後です。この記事と同じ集合写真から始まります)。よろしければご覧下さい。→ 被災者支援:石巻で、そしてここで(活動詳細)

 被災地では、被災者による自助努力やコミュニティの互助がとても大切であることは言うまでもありませんが、今回私たちが行った泥出しのような多くの活動は、ボランティアによる支援無しではとても行うことはできません。救援から復興へと、ボランティアの活動はこれからも長期で必要とされます。

 現地に行く支援だけでなく、被災者や被災地域への経済的な支援をすることも大切ですし、現地に行くことのできる人を後方支援することもできるでしょう。何と言っても、被災地の人たちのことを忘れないようにすることがとても大事。そのためにも、是非自分で、又は仲間の中から現地へのボランティアに行けるように調整してみて下さい。

 これまでの記事
1)巨大地震・津波発生についてと被災者支援への出発のお知らせ
2)被災者支援:石巻で、そしてここで①-活動報告速報・全体概要
3)桜満開を楽しんで、再び石巻へ

 活動詳細(第1回第2回含む)
 → 被災者支援:石巻で、そしてここで(活動詳細)

 → ピースボートの緊急支援ホームページ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

桜満開を楽しんで、再び石巻へ

Web_2 満開の桜を、この何日か楽しませてもらいました。

 そして、再び石巻へ。田んぼや畑があるので、これからは小川町を拠点に支援活動をしていこうと考えていたのですが、ピースボートで募集したボランティアの中の外国人チームにチームリーダーが必要とのこと。心の底では、もう一度現地へ行きたいと思っていたこともあり、これを受けました。

 今週は、出発までにどうにか終わらせたいと思っていた畦シート張りと苗箱への土入れを、仲間の助けで終わらせることができました。本当にありがとう!

 今晩、数台のバスで東京を出発。1週間少々で帰ってくる予定です。 また、報告します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

被災者支援:石巻で、そしてここで①-活動報告速報・全体概要

P3230008web
 以前の記事 → 巨大地震・津波発生についてと被災者支援への出発のお知らせ

 <行程>
 宮城県石巻市での災害救援活動から帰って来ました。地震津波後11日目に現地入りし、現地での活動8日間、行き帰りの東北自動車道深夜行を含めて10日間の行程でした。

 内戦下のグアテマラでの緊張した1年間や、特にジャングルの中で帰還難民の人たちと1ヶ月を過ごした時のことなどと比べると、時間的には短かったものの、今回の経験はそれ以上にショッキングとも言えるほど濃いものでした。

P3230010web <現地の状況>
 まず、現地の惨状は言葉には表せないほどです。この豊かな日本で、これまで全てのものがそろっていた場所に、今ただ立ち尽くすしか無いように見える倒壊した町々があり、人々が寒さとひもじさに耐えているこの状態が、すぐには信じがたいのです。

P3290058web 私たちの炊き出しで、地震津波から2週間経って初めて温かい食事をしたという人たちが大勢いました。3週間が経とうとしている今、被災者への救援活動はまだまだ必要です。

 <支援と復興>
 そして、被災直後の緊張と生き残るためのがんばりの力がもたなくなるかもしれないこの先、日本人皆からの(そして海外からも)支援活動がこれまで以上に求められるようになると思います。

 その先に来る「町の復興」は、私のような一般人には想像もできない大仕事になると思われます。「(現地の方々には失礼とは分かりながらも)この町を復興させるのか、させないのかをまず決める必要がある」とすら思ってしまうほど、破壊状態が大きく見えるのです。

 現地には残骸を取り除くための道具も、掃除道具もほとんどありません。そして、掃除をするための水が無いのです。その中で地元の人たちは、家の中や周りの動かせるものを片付け、山のような泥を少しずつ手でどけています。

 <被災された方々のこと>
 炊き出しに行った地区の町会長さんは、「2週間ぶりの温かい食べ物で、力が出る」と感謝され、その後私の手をしっかりと握って「必ず復興させますから」と涙を浮かべながらおっしゃいました。私たちが活動当初から関わった一つの避難所(小学校)では、配給された焼き芋を笑顔で私たちに差し出してくれた女性もいました。(丁寧にお返ししました。)地元の人たちは、悲惨な状況に耐えて支えあう力強さと、この先のことを考えてぼうぜんとする想いの混じった状態におられるように見えました。

P3280047web <ボランティアたちの生活>
 たった1週間ちょっとのことでしたが、テントでの暮らしは寒かった(朝は、零度からマイナス数度でした)! そして10日間、風呂はもちろんシャワーも使えなかったのは、けっこうきつかったです。

 石巻では、市の社会福祉協議会が石巻専修大学のキャンパスに支援事務局を構えており、ボランティア団体はその社協と連携して活動しています。ピースボートも、同キャンパスに基地を作って(寝泊りのテント数十張り、炊き出しテント、そして事務局テントを置いて)支援活動をすると同時に、ボランティア団体のまとめ役として動いています。

 そんな中で、笑顔を絶やさずに活動する女性のボランティアたちにはすごく励まされました。特に輝いていたのは「Make The Heaven(メイクザヘブン)」という団体でリーダー的に活動している女性、もう一人はピースボートの知り合いでした。

 もう一つ励まされるのは、北は北海道から南は九州まで、日本全国から救援に駆けつける人たちがいるということです。被災者への直接の支援ができること、駆けつけた人たちがそれぞれの地元へ戻って現状を伝え人々の気持ちが冷めるのを抑えられること、そして被災者に「ひとりではない」という勇気を与えるであろうことなど、大きな意義があると思います。

 <そしてこれから>
 こうやって書いていても、手先から肩の辺りの力が入らず、なんだか心がここに無い感じです。まずは、現地でのことを少し書きました。現地の様子や活動に関しての続きの記事と、これからのことは次回に。

P3290052web 被災者とその町々のことを忘れずに支援し続けることが必要です。ボランティア活動に行きましょう。自分の住んでいる所で支援活動を続けましょう。

 今回の記事では触れなかった福島第1原発のことが、もう一つの大きな大きな話題ですね。福島の人たちのこと、農業のこと、土のこと、そして放射能から逃げるか被災者支援に行くかなど、心をかき乱される、引き裂かれるそんな想いです。これも次回以降に書くつもりです。

 被災者支援活動の続き → 別ページ「被災者支援:石巻で、そしてここで(活動詳細)」を作りました。 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

行ってきます!被災者支援・宮城県石巻市へ

 3月11日、東北太平洋沿岸を中心に、記録的な巨大地震(M9.0)とそれに続く大津波がありました。

 死者は1万人に迫り、行方不明者も1万人以上、さらに増え続けています。そして、被災して避難所などで生活している人たちが数十万人。福島第一原発では、地震と津波の影響で原発が危機的な状況。

 お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。
 
 被災者全ての方々が、勇気と希望を失わずに生活されますことを願っています。

 全ての原発を停止できるよう、自分の生活の見直しと、社会への働きかけをしていきます。

 ピースボートの災害救援活動に参加し、今日から宮城県石巻市にでかけます。これから始まる支援ボランティア活動の準備と、海外からピースボートを通して送られてくる支援物資の受け渡しなどをする予定です。

 まずは、1週間から10日ほどの期間を予定。

 帰りましたら、報告します。

 第一報はこちら → 速報・全体概要
 活動詳細はこちら → 活動詳細ページ

| | コメント (0) | トラックバック (0)